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東京高等裁判所 昭和63年(う)681号 判決

本籍

新潟市小針上山八番

住居

同所八番一三号

医師

野沢進

昭和一一年五月三一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年三月二五日新潟地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官樋田誠出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人村山六郎、同丸山正及び同斎藤稔連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官豊嶋秀直名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一(事実誤認の主張)について

所論は、多岐にわたるが、要するに、(一)押収された昭和五六年のカルテ中には西山和栄及び田中一枝のカルテが存在しないので、同年中に同人らから医療収入を得ておらず、また、同五七年中に大場隆策からも医療収入の一部を受領していないのに、これらの医療収入を得ている旨、(二)レントゲンフィルム等の売却による雑収入は、有徳有限会社(以下「有徳」という。)に帰属し、被告人には帰属しないにもかかわらず、これを被告人の収入である旨、(三)医療材料費(医薬品・医療材料)に関する取引は、有徳と業者らとの間でなされたものであるのに、その取引主体を誤り、被告人と業者らとの間で直接取引がなされた旨、医療材料費として、株式会社日医工新潟(以下「日医工新潟」という。)に対し、昭和五六年中に支払った額が五六九万一〇〇〇円であるのに、二七九万一〇〇〇円である旨、武田医科器械店こと武田忠雄(以下「武田」という。)に対し、同五六年中に合計八二〇万五九九〇円を、同五七年中に合計一一〇三万七七〇〇円をそれぞれ支払ったのに、その一部の支払いしか認められない旨、ラクール薬品販売株式会社(以下「ラクール薬品」という。)に対し、同五六年中に一八五万二一〇〇円を支払ったにもかかわらず、同額の未払分について値引処理がなされたとして、これらの支払いは認められない旨、(四)たな卸資産の評価額を把握することは困難であるから、たな卸資産はないものとして、当該年の仕入総額をすべて経費とすべきであるのに、たな卸資産が存在した旨、(五)昭和五六年中に原判決が認容した金額以上の接待交際費・消耗品費・消耗備品費等の支出があったのに、その支出がなかった旨、(六)同五七年中に合計六一六万五五〇〇円の修繕費を有限会社椎谷工務店(以下「椎谷工務店」という。)に支払ったのに、そのうち四二万円しか認められない旨、(七)同五六年中に本間一也に支給した賞与合計四三万円のうち、二四万円を超える部分は恩恵的贈与である旨、また、同人に支給した給料は月額二〇万円とすべきであるのにこれを月額七万円である旨、退職金についても原判示金額を上回る金額を現実に支給したのに、その支出は認められない旨、(八)同五七年中に有徳が設計監理料として斎藤国雄に支払った六〇万円のうち、三〇万円は被告人の病院管理の雑費として認容すべきであるのに、これが認められない旨、それぞれ判示して、被告人の本件各年分における所得金額を認定した原判決は事実を誤認したものであって、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

そこで、原審記録を調査して検討するに、原判決の認定判示するところは、その結論においていずれも正当として是認することが出来、関係各証拠を子細に検討してみても、原判決に所論のような事実の誤認が存するものとは認められない。所論に鑑み、以下順次敷衍して説明する。

(一)  医療収入について

(西山和栄、田中一枝分)

まず、昭和五六年分の入院患者診療収入中、西山和栄及び田中一枝に関する所論について検討するに、大蔵事務官松本健作成の入院収入調査書によると、右調査書は、窓口で収受した交通事故、労災による入院以外の患者からの患者負担医療費及び入院差額を分かりやすくするために作成したものであるが、差押えた入院カルテに貼付してある診療点数及び負担金計算資料を基に被告人の供述を得て患者負担医療費を確定したものであること、同五七年分を除いては入院カルテの大部分が差押えられておらず、その後もその所在が不明であるため、差押えたカルテによって収入金額を確定したこと、西山和栄は、国民健康保険適用の患者(本人)として、昭和五五年一〇月一五日に野沢整形外科に入院(入院の部屋番号五号室)し、同五六年二月一〇日に同外科を退院した者であって、入院カルテ番号は一二二番、外来カルテ番号は四一八八番である旨記載されており、その診療報酬につき、同年一月分として三万九〇〇〇円を、同年二月分として二万六七二一円をそれぞれ請求したところ、当年中にいずれも請求どおりの診療報酬が支払われていること、田中一枝は、健康保険適用の患者(家族)として、昭和五五年一二月二六日に同外科に入院(入院の部屋番号一号室)し、同五六年一月七日に同外科を退院した者であって、入院カルテ番号は一四九番、外来カルテ番号は四八九九番である旨記載されており、その診療報酬につき、同月分として二万五二九六円を請求したところ、当年中にその請求どおりの診療報酬が支払われていることが認められる。以上のような入院収入調査書の具体的記載内容に徴すれば、カルテの番号等が誤って記載されたものとは到底認められず、西山和栄及び田中一枝が被告人の経営する野沢整形外科に入院するなどして診療を受けたことは明らかであって、同人らの各カルテが存在したことは勿論、同五六年中に被告人がその診療報酬を得ていたことも優に肯認することが出来る。

この点につき、被告人は、原審(第三三回公判)において、昭和六二年夏ころ、新潟地方検察庁に赴き、西山らのカルテの閲覧を求めたところ、同五六年分の入院カルテ綴が存在したものの、その綴中には同人らのカルテがなかったので、同人らに関する診療報酬を得ていない旨供述している。しかしながら、被告人は、同検察庁において、差押えられたカルテの全部を閲覧したものではないことは記録上明らかであるから、被告人の右供述をもってしても、前示認定を左右するには至らないというべきである。

(大場隆策分)

次に、大場隆策の診療収入について検討するに、前掲大蔵事務官松本健作成の入院収入調査書、同平田純敏作成の自由診療収入調査書、原審弁護人斎藤稔作成の昭和六三年一月二九日付報告書に添付されている大場隆策に関する入院診療録、被告人の大蔵事務官に対する昭和五八年一一月八日付質問てん末書(原審記録四三一丁の三一七〇丁編綴分。以下証拠書類群については、枝丁数のみを表示する。)及び検察官に対する同五九年九月一〇日付供述調書、被告人原審(第三三回公判)における供述によると、大場隆策は、昭和五七年三月三日、交通事故に遭い、同日野沢整形外科において診察治療を受けた後、翌四日から同年四月五日まで、同月八日から同月二四日までの二回にわたり同外科に入院して治療を受けたが、その最終治療日は同年六月七日であること、最初健康保険適用の患者として受け付けられたが、治療の途中において、安田火災海上保険株式会社の担当者から加害者加入の自動車保険により自由診療の方法で治療されたい旨の連絡を受けたこと、そこで、被告人は、その診療報酬として、昭和五七年三月二九日に五九万八七六〇円を、同年九月一六日に一五万三五〇〇円を右会社にそれぞれ請求したところ、その診療報酬として五五万三七六〇円が支払われたこと、更に、同年四月八日から同月二四日までの診療報酬分二七万〇二三〇円については、右請求とは別に同月中に社会保険診療報酬支払機関に請求していること、野沢整形外科では患者の負担する金員を窓口で受領した場合、その都度、その受領した金額を窓口収入ノートに記載し、カルテには記載していないこと、大蔵事務官の作成した前掲入院収入調査書は、窓口で収受した交通事故による入院患者以外の患者から患者負担分の医療費を受領したものにつき、被告人方から押収した関係資料に基づいて作成したものであるが、その調査書には、大場隆策に関するものとして、同年四月七日に同年三月分として六五〇〇円を、同年五月八日に同年四月分として一〇〇〇円をそれぞれ請求し、当年中にこれを同人から受領した旨の記載がなされていること、被告人は、大蔵事務官及び検察官から右入院収入調査書に添付されている入院患者診療収入調査書(五七年分)と題するものと同一の資料を示されて事情を聴取された際、その記載に間違いない旨述べているばかりでなく、その記載を基にして算出した所得金額をもって昭和五七年分の所得税につき修正申告したことが認められる。

以上の事実に徴すると、被告人は、大場隆策の治療に関し、損害保険会社等から診療報酬の支払を受けたほかに、同人から二回にわたり患者負担分合計七五〇〇円を受領したものと認めるのが相当である。これに対し、被告人は、原審(第三三回公判)において、同年四月七日に請求したとされる六五〇〇円を受領していない旨所論に副う供述をしているが、右供述は、被告人の捜査段階における供述とも異なる上、すでに説示したような事情に照らし、到底措信することは出来ない。

なお、所論は、自由診療収入調査書には、被告人が昭和五七年三月三日から同年六月七日までの間、大場隆策を診療した診療報酬として、同年三月二九日に五九万八七六〇円を請求した旨記載されているが、同月三〇日以降の診療報酬を同月二九日に請求出来る筈がないので、その記載自体不自然である旨主張する。しかし、右調査書は、その「診療期間」の欄に昭和五七年三月三日開始、同年六月七日終了の旨を一括して記載した上、「請求」の欄に同年三月二九日五九万八七六〇円、同年九月一六日一五万三五〇〇円と二段に分けて記載しているのであって、その記載の体裁自体に照らし、それぞれその請求時点までの診療報酬を計上したものであることを明らかに看取出来るから、所論は、右調査書の趣旨を殊更に曲解するものといわざるを得ない。

してみると、医療収入に関し、原判決には所論のような誤認があるものとは認められない。

(二)  雑収入について

所論は、原判決の認定した雑収入のうち、輸液セットやレントゲンフィルム等の売上に関する主張であるところ、確かに、大蔵事務官平田純敏作成の雑収入調査書、関東医師製薬新潟販売株式会社(以下「関東医師製薬」という。)代表取締役相馬慶嗣作成の答申書、原審における証人相馬慶嗣及び同小林敏彦の各証言、被告人の検察官に対する昭和五九年九月一三日付供述調書(原審記録三二八一丁編綴分)中には、有徳が関東医師製薬に輸液セットやレントゲンフィルム等の医療材料を売却し、その代金も同会社から有徳が取得した旨記載の書面ないし供述部分が存する。しかしながら、後記(三)に説示のとおり、右売上にかかる医療材料は、いずれも被告人が購入したものであって、有徳が購入したものではなく、したがって、その売却も被告人自身がしたものと認めるのが相当であるから、その売上相当額が被告人の本件各年における雑収入に当たる旨認定判示した原判決に所論のような誤りはない。

(三)  医療材料費(医薬品・医療材料)について

所論は、昭和五六年度及び同五七年度中に本間薬品株式会社等から医薬品を、関東医師製薬等から医療材料をそれぞれ購入したのは有徳であって、被告人は右有徳からこれらの医薬品や医療材料を購入したに過ぎないのに、被告人がこれらを直接右製薬会社等から購入したものと認定し、また、被告人が日医工新潟、武田及びラクール薬品に支払った医薬品費等につき、その一部しか認めなかった原判決は、事実を誤認したものである旨主張する。

(医薬品等の購入と有徳の介在の有無)

そこで、まず、所論前段の医薬品等の取引主体に関する主張について検討する。

しかるに、後掲関係証拠によれば、被告人は、有徳名義で仕入れた医薬品等についても、当該取引を各薬品会社と被告人との直接取引と認識していた結果、有徳名義の仕入価格をそのまま被告人の仕入価格として、本件各年分における費用に公表計上していたことが認められる。そうだとすれば、薬品会社との取引主体が有徳であり、被告人は有徳から仕入れていた場合であると、薬品会社との取引主体が被告人であり、有徳の介在がなかった場合であるとによって、被告人の支払う医薬品等の金額には全く差異を来さないこととなり、したがって、本件各年分における所得の計算に何らかの径庭をも生じないことが明らかである。してみれば、所論前段の医薬品等の取引主体に関する主張は、被告人の逋脱所得金額を争うものとしては全く無意味であり、すでにその主張自体において失当たるを免れない。

しかしながら、所論は、この点を本件最大の争点として、縷々の主張を展開して倦むところを知らず、また、この点の事実関係如何は、前記(二)の雑収入金額の認定にも影響を及ぼすので、以下、証拠関係に立ち入っ

て原審事実認定の当否を検討することとする。

いずれも押収にかかる有徳有限会社関係書類綴一綴、業務日誌一冊、新潟県衛生部長作成の「一般販売業の許可について」と題する書面(写)一枚、新潟県知事作成の医療用具販売業届出済証(写)一枚、継続的商品売買基本契約書二通、有徳名義の普通預金通帳一通並びに被告人名義の普通預金通帳及び総合口座通帳各一通、日医工新潟課長代理金尾勇三及び関東医師製薬代表取締役相馬慶嗣作成の各答申書、原審弁護人村山六郎作成の報告書四通(いずれも昭和六一年七月一五日付のもの)、新潟県民生部国民健康保険課長及び新潟県民生部保険課長作成の「捜査関係事項について(回答)」と題する各書面、原審における証人吉田充、同吉田豊、同金尾勇三(原審第八回及び第一九回公判)、同相馬慶嗣、同小林敏彦、同藤城雄爾、同武田忠雄、同磯部正子及び野沢和子(原審第二五回及び第二六回公判)の各証言、原審(第二一回、第二三回、第二四回及び第二八回公判)における被告人の供述中には、次のような記載ないし供述部分が存する。すなわち、

(1)  被告人は、昭和五二年四月二〇日、新潟市内において、野沢整形外科医院の名称(同五五年五月一〇日野沢整形外科と改称した。)で医療機関を開設し、医療業務に従事している者であるが、同五四年三月ころに至り、節税を図ると共に、医薬品等医療材料の購入などについては法人に任せ、自らは雑務から独立して医療行為に専念すべく、メディカル・サービス法人を設立しようと考えた。そして、被告人は、妻野沢和子らと相談の上、同月一四日、同人及び被告人ら夫婦間の子四名を出資者(同人らが未成年者であるため、被告人は同人らの親権者として関与したが、出資をしていないし、役員にも就任していない。)とする医薬品や医療材料の販売、土地、家屋の賃貸等を目的とする有徳を設立し、その代表取締役には被告人の妻和子が就任して、その旨の登記を了した。そこで、有徳は、そのころ薬剤師である磯部正子を管理薬剤師として雇用した上、新潟県知事に対し、同年七月二五日付で医薬品の一般販売業の許可申請及び医療用具販売業の届出をしたところ、同年一〇月二六日に至り、これが許可されると共に、その許可証及び医療用具販売業届出済証が交付されたので、同日から営業を開始した。

(2)  一方、被告人と有徳との間において、同日、有徳が被告人に対し、将来継続して医薬品、医療機器等を売買するものとし、個別的な売買契約において、特約なき場合においては本契約に基づくものとする旨の継続的商品売買基本契約が締結されたが、その契約で、〈1〉売買条件については、その都度の個別的売買契約において定め、被告人の注文書と有徳の注文請書の交換により、有徳の注文請書の交付の時に個別的売買契約が成立するが、特約により簡易かつ敏速な方法によることを防げないこと、〈2〉有徳は、個別的契約上の約定期限に、約定引渡場所に商品を持参または送付して被告人に引渡し、被告人は商品受領後、一〇日以内に商品を検査すること、〈3〉商品の所有権は、商品引渡の時有徳から被告人に移転するが、特約ある場合は代金弁済完了まで、なお有徳に帰属するものとし、被告人は商品受領の時、直ちに有徳の納品書に受領の署名押印をして有徳に発送するものとすること、〈4〉売買代金は、個別的契約に従い支払い期日に現金または小切手で支払い、有徳が代金を受領した場合は、あらかじめ被告人に届けた印鑑を押印した受領書を提出することなどが定められている。

(3)  その後、被告人及び有徳の代表者である妻和子は、医薬品や医療機器等の販売業を営んでいる業者らの営業担当者に対し、それまで野沢整形外科の名義でしていた取引を以後有徳の名義で取引する旨を伝えた。その結果、いずれも医薬品等の取引業者であって、従前被告人と取引をしていた本間薬品株式会社、日医工新潟、若井薬品、有限会社新潟カゴシマ、株式会社三和化学研究所、笹菊薬品株式会社、ヨシダ薬品、株式会社ウエダメディカル、三栄薬品株式会社、東邦薬品株式会社新潟支店、富士製薬工業株式会社及び株式会社ニチエーの代表者や営業担当者らは、以後医薬品等の取引に関する相手方は有徳であると認識して医薬品等を納品した上、その請求書(請求明細書、請求内訳書、請求伝票)の宛先も有徳名義として発行するようになった(そのうち、若井薬品、株式会社三和化学研究所及び株式会社ニチエーは、後記のとおり、野沢整形外科宛ての請求書をも発行していた。)。また、関東医師製薬では、輸液セットやレントゲンフィルム等の購入に関し、同会社に宛てて発行された請求書や領収書の作成名義人が有徳となっているためか、同会社の買掛帳には取引先の名義を有徳と記載して、その帳簿処理をしていた。

(4)  更に、有徳は、そのころ、株式会社第四銀行小針支店に普通預金口座を開設した。その口座には、被告人が同支店に開設してある普通預金口座からいずれも昭和五六年の一月二九日に四〇〇万円、二月二八日に四〇〇万円、三月二八日に三〇〇万円、四月二八日に二四〇万円、五月二八日に三〇〇万円、六月二五日に四〇〇万円、七月二九日に三五〇万円、八月二九日に四〇〇万円、九月二九日に四〇〇万円、一〇月二九日に四〇〇万円、一一月二八日に三〇〇万円、一二月二五日に四〇〇万円、いずれも同五七年の一月二九日に四〇〇万円、二月二七日に三〇〇万円、三月三〇日に三〇〇万円、四月二八日に四〇〇万円、五月二八日に四〇〇万円、六月二九日に四〇〇万円、七月二九日に五〇〇万円、八月二八日に四〇〇万円、九月二九日に三〇〇万円がそれぞれ振替入金されている(なお、被告人名義の右口座には他の預金口座に振り替えられたとされているもののうちで、いずれも同年の二月二七日付の七〇万円(三口合計三七〇万円中の七〇万円)、三月三〇日付の一三〇万円、四月二八日付の一三〇万円、一〇月二九日付の一三〇万円、一一月二九日付の一三〇万円、一二月二九日付の五〇〇万円に相当する金額が有徳の右口座に振替入金された様子が窺われない。)。

以上のような事実関係からすると、所論の医薬品等は有徳が購入し、これを被告人に売り渡したかのように認められないでもない。

しかしながら、前掲各証拠のほか、大蔵事務官平田純敏作成の医療材料費調査書、押収してある総勘定元帳二綴及び領収書・伝票綴一綴、武田忠雄の検察官に対する供述調書、被告人の大蔵事務官に対する各質問てん末書(昭和五八年五月三一日付、同年六月一〇日付及び同年九月一日付)及び検察官に対する各供述調書(同五九年九月六日付及び同月二七日付)、原審における証人平田純敏(原審第五回、第六回及び第二七回公判)、同池儀三郎及び同土田賢一の各証言、原裁判所の証人松本健に対する尋問調書、被告人の原審(第二一回及び第二四回公判)における供述によると、次の事実を認めることが出来る。すなわち、

(1)  有徳は、営業開始後、アパートの一室を事務所に使用していたものの、本件犯行の各年中に磯部正子を管理薬剤師として雇用したのみで、他に従業員を雇用しておらず、磯部も昭和五六年中には週一回の、同五七年中には月一回の割合で出勤し、しかも午前中だけ右事務所や野沢整形外科の調剤室で勤務する程度であって、仕事らしい仕事をしておらず、医薬品等の購入に至っては全く関与していなかった。そこで、被告人は、業者らに直接医薬品を注文していたが、妻和子も被告人の指示に基づき医療材料を注文したり、有徳の普通預金口座を利用するなどして医薬品等の代金の支払いを担当するなどしていた。

(2)  被告人らの注文に応じて医薬品等を納入した業者らは、右事務所に納品したのはごく一部であってその大半を野沢整形外科に直接届けていた上、共立医療電機株式会社、株式会社マルタケ商会、メディカル日本海、源川医科器械株式会社、千代田ニチエー株式会社、株式会社竹虎、株式会社五十嵐医科商会、株式会社マルタケ、有限会社弘洋薬品、株式会社リリー商会、合資会社田村義肢製作所及び渡辺医療機株式会社は、請求書等の宛名を野沢整形外科と、武田医科器械店はノザワ整形外科としており、また、株式会社ニチエー、株式会社三和化学研究所及び若井薬品は、宛名を区別することなく、有徳とするものや野沢整形外科とするものなど、二様の請求書等を発行していた。

(3)  本件各犯行年中に、被告人と有徳との間で、前記継続的商品売買基本契約に基づく個別的契約を締結したことがない上、被告人が有徳に対し、医薬品等を注文したこともないので、有徳は、これらの医薬品等を被告人に納入したことがないことは勿論、納品書を発行して、その納品書に被告人の署名押印をして貰ったこともないし、その代金を受領した旨を記載した領収書の交付をしたこともない。そればかりか、被告人も有徳も、被告人と有徳とが医薬品等に関する取引をしたことを認めるに足りる売上帳や仕入帳などの帳簿書類を全く備え付けていない。更に、被告人は、本件の税務申告を池経理事務所に依頼した際、医療材料費等に関して発行された野沢整形外科あるいは有徳宛の請求書等を一括して右事務所の担当者に渡していただけであって、有徳から医療材料を購入したので、そのマージンを有徳の所得に計上した上、両者の税務申告を区別してするように依頼したこともない。そのため、右事務所で作成した総勘定元帳の医療材料費及び医療消耗品費の各勘定科目の摘要欄には、本件各犯行当時、被告人が取引業者らに対し、医薬品等の代金を現金で直接支払った旨の記載がなされている。なお、被告人の前記普通預金口座等から有徳の前記普通預金口座に振り替えられた金額の合計額よりも右総勘定元帳に記載されている医療材料費及び医療消耗品費から架空計上分を除外した合計額が昭和五六、七年分とも少ないのに、これらの金員について、被告人と有徳の間で清算がなされた形跡は全く存しない。

(4)  有徳は、設立した当初、その目的に従い、不動産の賃貸業のほか、医薬品等の販売に関する営業をも開始したが、実際にはその事務手続や書類の作成などが非常に複雑であったことなどもあって、二、三か月で医薬品等の販売に関する営業を中止し、不動産管理業のみを行うようになった。しかし、その後も医薬品等の取引について有徳の名義を使用していたが、有徳名義で仕入れた医薬品等はすべて野沢整形外科で使用し、あるいは使用することが予定されていたものであって、他に転売されたようなものはなく、その実態は被告人と業者らの直接取引に過ぎなかったため、被告人としても、有徳との取引による利益率等を全く考慮していない上、有徳名義でした医薬品等に関する取引も自己の取引であると認識していた。のみならず、被告人は、本件の税務申告をするに当たり、医療材料費の架空計上をすべく、武田に対し、架空の請求書や領収書を作成してくれるように依頼し、あるいは日医工新潟の担当者にも、値引した医療材料費の領収書を有徳宛てに作成して貰い、これらの書面を前記池経理事務所に届けて税務申告するなどし、本件脱税を図った。

(5)  有徳は、昭和五六年度及び同五七年度の法人税につき、その申告をしていなかったところ、被告人が本件で査察を受けるや、同五八年一一月九日に至って修正申告をしたが、その申告書には不動産管理の収入を記載したのみで、被告人との間で医療材料に関する取引を行い、その取引により利益を得た旨の記載がなされていない。他方、被告人は、昭和五八年六月三日、新潟税務署長に対し、同五六年分及び同五七年分の所得税につき修正申告をしたが、同五九年一月一九日に至り、本件査察調査により算出された所得金額が被告人の実際所得金額に間違いないものと認め、その所得金額(各年とも原判決の認定した実際所得金額よりも多いもの。)をもって最終修正申告をし、その所得税を納付した。

以上のような有徳の設立経緯、その営業の実態や法人税の申告状況、有徳と被告人間との取引に関する納品書や請求書等の証拠書類が存しないばかりか、有徳において売上帳その他の会計帳簿も備え付けていないこと、被告人も備え付けている帳簿等に有徳から医薬品等を購入した旨の記載をしておらず、かえって、総勘定元帳には、業者らに対し、医療材料費等の代金につき、有徳の口座を通じて支払った分も含め、直接支払った旨の記載がなされていること、被告人の普通預金口座等から有徳の普通預金口座に振り替えられた金員と被告人が医療材料費として業者らに支払った金員との間にはかなりの差があるのに、その差額につき、両者間で精算がなされた形跡は全く存しないこと、営業の実態や利益率等に対する被告人の認識、捜査官らに対する本件各犯行の自認、それに基づく修正申告とその所得税の納付状況等に徴すると、医療材料に関する取引は、取引名義の如何を問わず、すべて被告人とその業者らとの間で直接行われたものと認めるのが相当であって、被告人が有徳から医療材料を購入したものとは到底認められない。これに反する原審における証人吉田充、同吉田豊、同金尾勇三、同相馬慶嗣、同小林敏彦、同武田忠雄(第九回公判)及び同野沢和子(第二五回及び第二六回公判)の各証言、被告人の原審(第二一回及び第二八回公判)における供述等は、不自然な部分が含まれている上、被告人の捜査段階における供述や、その他の関係証拠に照らし、いずれもたやすく措信することが出来ない。

してみると、原判決には医療材料に関する取引につき、その主体を誤認した違法は存しない。

なお、所論は、有徳名義で業者から仕入れた医療材料につき、民事上、その代金支払義務を負担しているのは有徳であり、したがって、業者らは、その代金を有徳に対して請求すべきであって、被告人に請求することは出来ない上、不動産取引につき有徳の主体性を認める以上、被告人との医薬品等の取引についても、有徳の主体性を認めるのでなければ、論理が一貫しない旨主張する。

確かに、原判決は、「仮に、有徳名義で業者から仕入れられた医療材料に関する民事上の代金支払義務者につき、これを有徳とする見解が成立するとしても」と判示し、また、有徳の不動産取引につき、その主体性を肯認する旨判示していることは所論指摘のとおりである。しかしながら、原判決が「仮に、有徳の代金支払義務を肯定する見解が成立する」とした趣旨は、有徳と業者間において、民事法上の表見法理が適用される場合もあり得るので、その場合、有徳が代金支払義務を負うべきこともあり得るとしたまでに過ぎず、そのことから直ちに本件医療材料に関する取引が有徳と業者間でなされたものとし、その取引の主体性を肯認しなければならないものとは解されない。のみならず、原判決が有徳の不動産取引に関し、その主体性を肯認したのは、有徳の法人格が肯認されるだけでなく、不動産取引の実態も存していたことによるものであり、これに対し、医療材料等につき有徳の取引の主体性を認めなかったのは、有徳の法人格が否定されたためではなく、有徳と被告人との間には、医療材料等に関する取引の実態が存しないことを前提としたものであることは判文上明らかであるから、この点に関する原判決の判断は一貫しており、その間に何らの矛盾も存しないというべきである。

そこで、次に、所論後段の個々の薬品会社等に対する支払い金額につき、考察を進めることとする。

(日医工新潟に対する支払金額)

まず、被告人が日医工新潟に対して支払った医療材料費について検討するに、確かに、有徳の普通預金通帳には、その口座から昭和五六年三月三日に二六〇万円、同年六月二五日に二〇九万一〇〇〇円(以上合計四六九万一〇〇〇円)がそれぞれ払い出された旨の記載があり、また、日医工新潟作成の請求書及び領収書各三通にも、同年三月四日に二六〇万円が、同年四月三〇日に一〇〇万円が、同年六月二五日に一〇〇万円(以上合計四六〇万円)がそれぞれ支払われたことを窺わせる記載がなされており、更に、総勘定元帳(昭和五六年分)にも、被告人が日医工新潟に対し、合計四六九万一〇〇〇円をいずれも現金で支払った旨の記載がなされている上、原審証人野沢和子(原審第二五回公判)や被告人も原審(第二四回公判)において、それぞれ右記載と同旨の供述をしている。

しかしながら、押収してある被告人の普通預金通帳一通、大蔵事務官平田純敏作成の医療材料費調査書、日医工新潟課長代理金尾勇三作成の答申書、原審における証人金尾勇三、同藤城雄爾、同平田純敏(原審第五回及び第六回公判)の各証言によると、被告人の普通預金口座には、有徳の前記口座から払い出された金員に相当する金額がその口座に振り替えられた旨の記載がないこと、金尾勇三作成の答申書は、同人が国税当局の要請により、日医工新潟の元帳に基づいて作成したものであるが、それには昭和五六年三月三日に一三〇万円、同年四月三〇日に六〇万円、同年六月二五日に八九万一〇〇〇円(以上合計二七九万一〇〇〇円)がそれぞれ入金された旨の記載があるのみで、前記請求書や領収書に記載されている金額が入金された旨の記載がないこと、その請求書等を作成した藤城雄爾や金尾勇三は、実際に請求した金額や受領した金額を記載したものではないので、それらの請求書等に記載されている金額は正しいものではなく、元帳の記載が正確である旨述べていること、医療材料費調査書はこれらの資料を基にして作成されたものであることが認められる。

これらの事実に徴すれば、被告人が昭和五六年中に日医工新潟に支払った医療材料費の合計額は二七九万一〇〇〇円に過ぎないことが明らかであって、総勘定元帳の記載は藤城らの作成した領収書に基づき池経理事務所の担当者によって記載されたものであるから、その記載をもって被告人が日医工新潟に対し、医療材料費として現金を現実に支払ったものとは到底認められず、右認定に反する野沢和子及び被告人の前記供述もにわかに措信することは出来ない。

所論は、日医工新潟作成名義の請求書等の記載との食い違いを理由に、右金尾勇三作成名義の答申書に添付された日医工新潟の元帳写の記載の信用性に疑問を呈しているが、前示のとおり、右請求書等の作成者である藤城、金尾らが、請求書等の記載は正確ではなく、元帳の記載の方が正確である旨供述しているのであるから、右主張も採用の限りでない。

(武田に対する支払金額)

次に、被告人が武田に対して支払った医療材料費について検討するに、いずれも押収にかかる武田忠雄作成の売上帳一綴、現金出納帳一綴、納品請求関係伝票一綴及び領収書・伝票綴一綴並びに総勘定元帳二綴、領収書・伝票綴写(原審記録三三三九丁編綴分)、原審弁護人村山六郎作成の報告書(昭和六二年七月六日付)、原審証人武田忠雄(第九回公判)及び同野沢和子(第二五回公判)の各証言、被告人の原審(第二四回公判)における供述中には、確かに、次のような記載ないし供述部分が存する。すなわち、

被告人の元帳には、被告人が、武田に対し医療材料費として、〈1〉昭和五六年中には、一月二九日に一三五万七三九〇円(なお、有徳の普通預金口座には、同日同額が払い出された旨の記載がある。)、二月二八日に一二八万三八〇〇円と二〇八万二〇〇〇円の二口、三月三一日に一五〇万円、七月一二日に五〇万円、一一月三〇日に一四〇万円、一二月三〇日に一九万二八〇〇円(以上合計八三一万五九九〇円。そのうち、後記のように備品費勘定に振り替えられた分一一万円を控除すると、公表金額は八二〇万五九九〇円となる。)、〈2〉昭和五七年中には、一月三一日に三二四万円、二月二七日に三〇一万三七〇〇円、三月三一日に一一万六〇〇〇円を、五月三一日に四〇三万八〇〇〇円を、一二月二七日に九八万円(以上合計一一三八万七七〇〇円。そのうち、後記のように機械勘定に振り替えられた分三五万円を控除すると、公表金額は一一〇三万七七〇〇円となる。)をそれぞれ支払った旨の記載がある。他方、武田作成名義のこれに見合う請求書及び領収書が発行されているほか、武田の売上帳や現金出納帳にもこれに見合う記載がなされている。そして、証人野沢和子や被告人は、領収書等に記載された医療材料費を実際に支払った旨を、証人武田忠雄は、これを実際に受け取った旨を、それぞれ供述している。

以上の証拠関係に照らすと、あたかも被告人が各年分の公表金額どおりの医療材料費を実際に支払ったかの如くである。

しかしながら、大蔵事務官平田純敏作成の医療材料費調査書、武田忠雄の検察官に対する供述調書、被告人の検察官に対する昭和五九年九月六日付及び同月一三日付(原審記録三二八一丁編綴分)各供述調書、原審における証人平田純敏(第五回及び第六回公判)、同武田忠雄(第七回公判)、同池儀三郎、同土田賢一及び同野沢和子(第二五回公判)の各証言、被告人の原審(第二四回公判)における供述によれば、次のような事実が認められる。すなわち、

被告人は、本件確定申告をするに当たり、経費の水増計上を企て、妻和子を介し、武田に架空の領収書の作成方を依頼したところ、同人は、これに応じ、前示のような請求書及び領収書を作成して被告人に交付すると共に、これに見合う売上帳や現金出納帳の記載を改竄した。そこで、被告人は、これらの証憑書類を池経理事務所に交付し、担当事務員をして被告人の元帳にこれらの領収書と符合する支払を記帳させたものである。しかし、武田は、その後、大蔵事務官や検察官から事情聴取を受けるに及び、右のような架空請求書等の作成経過を供述し、実際に売り上げた分の納品書や請求書の控え等に基づき、実際売上分の一覧表を作成し、これを大蔵事務官に提出した。右一覧表によれば、昭和五六年の実際売上高(被告人の側から見れば、医療材料費の支払金額)は合計一四八万〇三〇〇円であり、同五七年分のそれは合計額一一六万六五〇〇円である。他方、大蔵事務官の調査によれば、被告人の右支払金額のうち、昭和五六年分については一一万円が備品勘定に、同五七年分については三五万円が機械勘定にそれぞれ振り替えられているので、これを控除すると、実際支払金額は、昭和五六年分が一三七万〇三〇〇円、同五七年分が七四万六〇〇〇円と確定される。しかしながら、前掲大蔵事務官平田純敏作成の医療材料費調査書によれば、昭和五六年分の実際支払金額一三七万〇三〇〇円に同五五年末の未払金六〇万二四〇〇円を加えた一九七万二七〇〇円をもって調査額としている。前年末の未払金を当期の費用に加算することは会計処理上明白な誤りといわなければならないが、本件訴因を構成する逋脱所得の計算が右調査額を根基としていること、右の誤りは被告人の費用を増加し、所得を減少させる方向での誤りであって被告人の利益となることに鑑み、昭和五六年分の実際支払金額は、右調査書に記載のとおり一九七万二七〇〇円とするのが相当である。

以上のような事実が認定出来るから前示公表金額のとおりの医療材料費の支払があったものとは到底認められず、昭和五六年分については公表金額八二〇万五九九〇円と実際支払金額一九七万二七〇〇円との差額六二三万三二九〇円が、同五七年分については公表金額一一〇三万七七〇〇円と実際支払金額七四万六〇〇〇円との差額一〇二九万一七〇〇円が、医療材料費の架空計上額と認めるべきである。これに反する原審における武田(第九回公判)及び野沢和子(第二五回公判)の各証言並びに被告人の原審(第二四回公判)における供述は、同人らの大蔵事務官及び検察官に対する各供述調書等に対比すると、にわかに措信することは出来ない。(ラクール薬品に対する支払金額)

次に、被告人がラクール薬品に支払った医療材料費について検討するに、押収にかかる総勘定元帳一綴(昭和五六年分)には、昭和五六年一二月二五日、被告人がラクール薬品に対し、医療材料費として、一八五万二一〇〇円を現金で支払った旨の記載があり、被告人も原審(第二四回公判)において、ラクール薬品から湿布薬を仕入れたので、同日その代金を支払い、その領収書を受け取り、これを池経理事務所に渡した旨所論に副う供述をしている。

しかしながら、原審(第五回及び第六回公判)における証人平田純敏の証言によると、国税当局がラクール薬品に対し、被告人との取引につき、書面で照会したところ、昭和五五年の期首において二九七万円の売掛金債権を有していたが、同年三月中に一一一万七九〇〇円の支払いを受けたこと、残額の一八五万二一〇〇円については同年五月と七月に値引により、その債権が消滅した旨の回答を得たこと、被告人は同五六年中にラクール薬品と取引をしたことがない上、右金員を支払ったことを証する領収書も存しないことが認められ、これに反する原審における被告人の前記供述はにわかに措信することが出来ない。してみると、総勘定元帳の記載や被告人の右供述にもかかわらず、所論の金員が支払われたことを認めることは出来ない。のみならず、被告人の右供述によっても、被告人がラクール薬品と取引をした時期が昭和五五年以前のことであるというのであるから、たとえ、所論の金員が同五六年中に支払われたとしても、それは同年よりも以前の未払金を支払ったに過ぎず、したがって、被告人の同年における所得金額の計算上、これを同年の経費として認容すべきものではないから、この点でも所論は失当といわざるを得ない。

(四)  たな卸資産について

大蔵事務官平田純敏作成の医療材料費調査書、被告人作成の昭和五八年一〇月二六日付答申書、被告人の大蔵事務官に対する同年一一月八日付質問てん末書及び検察官に対する同五九年九月一三日付供述調書(原審記録三二八四丁編綴分)、原裁判所の証人松本健に対する尋問調書、原審(第二七回公判)における証人平田純敏の証言、被告人の原審(第二三回公判)における供述によると、被告人は、昭和五五年ころまで大雑把ではあっても薬品等の医療材料について実地にたな卸をしていたが、同五六年、五七年には、それさえもしていなかったこと、そこで、国税当局は、同五八年五月三一日当時における在庫医薬品等について実地に調査をしてたな卸表を作成し、これを被告人に渡してその医薬品等の仕入単価を記入するように依頼したところ、被告人は、自己の記憶や国税当局から聞いた事情を基に、その表に仕入単価を記入してたな卸表を完成させ、これを答申書に添付して国税当局に提出したこと、その答申書にはその時点における医薬品等の在庫高が七九二万二二六〇円存した旨の記載がなされていること、その当時、普段より在庫が多く、医薬品等を廊下にも置いていたこと、野沢整形外科においては患者数の変動が少ない上、医薬品等を患者数に応じて注文するため、在庫はほぼ一定しており、しかも年末には仕入を控えていたので、査察を受けた当時の在庫高より本件各年末のたな卸資産の評価額が少ないとしても格別不自然ではないこと、そこで、被告人は、少なくとも同五六年末には六五〇万円位、同五七年末には五〇〇万円位の在庫があったものと認識し、その旨を大蔵事務官や検察官に供述した上、それに基づいて修正申告をしたこと、国税当局も被告人の取引先や差押えた帳簿等を調査してたな卸資産の評価額の確定に努めたが、証拠資料が少ない上、被告人の供述以外にたな卸資産の評価額を確定する有力な方法が他になかったため、その申立てを相当と認め、その金額をもって本件各年におけるたな卸資産の評価額とし、これを基に本件各年における被告人の所得金額を計算したことが認められ、これに反する原審(第二五回公判)証人野沢和子の証言及び被告人の原審(第二一回公判)における供述は、被告人の捜査段階の供述とも異なる上、他の関係証拠に照らしたやすく措信することは出来ない。

してみると、原審の認定したたな卸資産の評価額には合理性があるというべく、たな卸資産が全く存しないものとして本件各年の所得金額を計算すべきであるとする所論は、本件たな卸に関する実態を無視した独自の議論であって、到底採用の限りではない。

(五)  接待交際費・消耗品費・消耗備品費について

株式会社大和新潟店(以下「大和新潟店」という。)常務取締役豊岡弘之作成の答申書三通、安藤一寛の検察官に対する供述調書、被告人の大蔵事務官に対する昭和五八年一一月八日付各質問てん末書(二通)及び検察官に対する同五九年九月一三日付供述調書(原審記録三二八四丁編綴分)、原審証人安藤一寛及び同平田純敏(第五回及び第二七回公判)の各証言によると、被告人は、本件各年中に大和新潟店から外商部扱いで商品を掛けで買い入れ、その代金を同店に開設してある得意先口座を通じて支払っていたが、毎年年末に至り、その担当者である安藤一寛に対し、実際には買い入れていない商品について、あたかも購入したかのような架空の請求書や領収書を作成して欲しい旨依頼したこと、安藤一寛は、被告人から依頼を受けた都度、その趣旨に副う架空の請求書七通(昭和五六年の一月一五日付八〇万円、四月一五日付二五万三七〇〇円、六月一五日付三一万八〇〇〇円、八月一五日付五〇万九四〇〇円、一一月一七日付二三万九三八〇円、一二月一七日付五〇万九九〇〇円、同五七年六月三〇日付三四万二六〇〇円のもの)及びそれらの請求書に対応する領収書を作成して交付し、控えの請求書等は破棄したこと、被告人は、これらの請求書等を池経理事務所に提出して、本件各年の会計処理を依頼したところ、同事務所の担当者によって接待交際費、消耗品費、消耗備品費等の各勘定科目に分類計上されたこと、大和新潟店作成にかかる売掛金元帳や売掛金取引明細表には右請求書や領収書等記載の金額に見合う取引があったことを窺わせるような記載が全くないこと、そこで、税務当局は、右請求書等記載の取引が架空のものであると判断し、その計上を否認した上、本件各年における接待交際費、消耗品費及び消耗備品費等の額を算出したことが認められ、これに反する原審(第一一回及び第一四回公判)における証人安藤一寛の証言及び被告人の大蔵事務官に対する昭和五八年一一月八日付質問てん末書(原審記録三一五五丁編綴分)の供述記録並びに原審(第二一回公判)における被告人の供述は、他の関係証拠に照らし、たやすく措信することが出来ない。

所論は、原審における安藤一寛の証言と被告人の供述との間に多少の相違があっても、現金で購入した商品もあったことは事実であるから、両者の供述が一致する限度において購入の事実を認めるべきである旨主張する。しかしながら、所論は信用出来ない安藤一寛や被告人の各原審公判供述を前提とするものであって、到底採用することは出来ない。

(六)  修繕費について

所論は、修繕費として、被告人が椎谷工務店に支払った病院特別室改築等工事分五〇〇万円並びにその他の工事分である四月一九日の二八万六〇〇〇円及び七月三一日の四五万九五〇〇円を認定しなかったのは、原判決の事実誤認であると主張する。

そこで、検討するに、大蔵事務官平田純敏作成の修繕費調査書、椎谷孝二の検察官に対する各供述調書(二通)、被告人の大蔵事務官に対する昭和五九年一月二〇日付質問てん末書並びに検察官に対する同年九月六日付及び同月一九日付(原審記録三三〇〇丁編綴分)各供述調書、原審証人土田賢一及び同平田純敏(原審第六回公判)の各証言によれば、次の事実が認められる。すなわち、

椎谷工務店は、昭和五七年二月九日、有徳との間に、「コーポ有徳荘」の新築につき、工事代金を二〇〇〇万円(その後二〇〇万円ないし三〇〇万円の追加工事を依頼されたが、被告人に値切られて、結局工事代金は総額で二〇三〇万円とすることとした。)とする請負工事契約を締結し、同年五月一〇日に完成させてこれを有徳に引き渡した。同工務店は、右工事代金のうち、四〇〇万円については予め支払いを受けていたので、同月一七日、残額の一六三〇万円を請求し、即日その全額の支払を受けたが、その際、被告人と椎谷孝二との間で、右一六三〇万円のうち、五〇〇万円を同工務店の簿外収入とする代わり、一一三〇万円については同工務店において宛先を被告人とし、但書に「医院改装費」と記載した領収書を発行することの合意が設立し、同日付で右内容の領収書が作成、交付された。

してみると、右支払金額は、すべて「コーポ有徳荘」の新築工事代金であって、内容虚偽の領収書が発行された一一三〇万円についてはもとより、簿外扱いとされた所論五〇〇万円についても、これを支出したのは有徳であって被告人ではないと認めるのが相当である。

次に、前掲各証拠によれば、椎谷工務店は、同年四月及び七月に野沢整形外科の小規模な修繕工事を請け負い、請求金額を二八万六〇〇〇円とする同年四月一九日付有徳宛て、請求金額を四五万九五〇〇円とする同年七月一五日付被告人宛ての各請求書を作成して被告人に交付したが、有徳や被告人との将来の取引関係を考慮の上、右各工事はいずれも同工務店のサービスとして代金は受け取らないこととし、右各請求書の控えには記載事項の上に大きく×形に斜線を交差させてその旨を明らかにしていることが認められる。

してみれば、有徳にせよ被告人にせよ、同年中に右各請求書に記載された金額を実際に支払っていないことが明らかである。以上に反する原審(第一三回及び第一五回公判)証人椎谷孝二の証言、被告人の原審(第二三回公判)における供述は、いずれも不自然かつ不合理である上、同人らの捜査段階における供述とも異なり、他の関係証拠に照らし、にわかに措信することが出来ない。また、原審証人斎藤国雄の証言及び同人撮影の写真によっても、右認定を左右するには至らない。

叙上の次第であるから、所論指摘の各修繕費を認めなかった原判決は相当であって、その結論に誤りはない。なお、所論は、椎谷孝二の検察官に対する各供述調書(二通)はいずれも証拠能力がないものである旨主張するけれども、右の各書面が刑訴法三二一条一項二号に該当するとした原審の判断は相当であるから、いずれも証拠能力を有するものというべきである。

(七)  給料賃金について

押収にかかる総勘定元帳一綴(昭和五七年分)、大蔵事務官平田純敏作成の退職金調査書、給料賃金調査書及び不動産所得調査書、被告人の大蔵事務官に対する昭和五八年一一月八日付質問てん末書(原審記録三一五五丁編綴分)及び検察官に対する同五九年九月十九日付(原審記録三三〇二丁編綴分)供述調書、原審証人土田賢一、同本間一也及び同野沢和子(第一六回公判)の各証言、被告人の原審(第二六回公判)における供述によると、被告人は、昭和五二年夏ころから同五七年三月までの間、本間一也を学生アルバイトとして雇い入れた上、有徳に賃貸している新潟市有明町所在の家屋に無償で住まわせ、野沢整形外科において、ベッドの組み立て、急患の搬入、医院の外壁の錆落としやペンキ塗りなどの雑務に従事させていたこと、同人の就労時間や賃金などについては明確な取り決めをしていなかったが、同五六年一月から同五七年三月までの間に支給した賃金は一か月平均七万円であること、更に、同五六年中に賞与として二四万円を支給したほか、同五七年三月には退職金として二〇万円を支払ったこと、それにもかかわらず、被告人は、同人に対し、同五六年一月から一二月までの間に毎月二〇万円の賃金を、同年八月に三五万円の、同年一二月に五〇万円の各賞与を支給し、同五七年一月から三月までの間に毎月二〇万円の賃金を、同月には三〇〇万円の退職金を支給したかのように架空の処理をしたことが認められ、これに反する原審証人本間一也及び同野沢和子(第一六回公判)の各証言並びに原審(第二六回公判)における被告人の供述は、いずれも曖昧かつ不自然であるばかりでなく、野沢和子の大蔵事務官に対する昭和五八年一一月八日付質問てん末書、被告人の検察官に対する同五九年九月一九日付供述調書(原審記録三三〇二丁編綴分)、その他の関係証拠と比照しても、たやすく措信することが出来ない。

(昭和五六年分の賞与の金額)

所論は、原判決は、一方で被告人が本間一也に対し昭和五六年中に賞与の名目で合計四三万円を支給したことを認めておりながら、他方で右のうち二四万円を超える部分は同人に対する恩恵的贈与であるとして、これを費用に計上することを否認しているが、右四三万円全額を賞与と認定すべきである旨主張する。

確かに、原判決は、原審証人本間一也の証言に依拠して、所論四三万円の支給を認めている。しかし、前示のとおり、右証言はたやすく措信するを得ないものである。すなわち、原判決も指摘しているように、右賞与の支給を受けたという本間及び支給したという被告人はいずれもその供述する金額が曖昧であるばかりか、相互に食い違っているのみならず、是認出来る二四万円の限度においてさえ、単なるアルバイト学生に過ぎない本間に対する賞与の支給率が、野沢整形外科の常勤従業員に対する最高の支給率である給与月額の三・〇八倍を上回っていることに照らし、これ以上の賞与が支給されたとするのは、あまりにも不自然、不合理であって、到底措信出来ない。してみると、所論四三万円の支給の事実を認めた原判決は、その認定を誤ったというべきである。しかし、原判決は右四三万円中二四万円を超える部分については、本間に対する恩恵的贈与として費用計上を否認しているのであるから、結局被告人の所得金額の認定に誤りはないこととなる。所論は採用の限りでない。

(賃料相当分の給料算入)

次に、所論は、被告人が本間一也に使用させていた家屋の賃料は月額にして一二万円ないし一三万円相当であり、したがって、本間としては、その賃料を支払うべき義務があったところ、実際にはその支払いをしていないため、被告人が本間に対して支払うべき給料二〇万円から、その賃料相当分を差し引いて支給したのであって、この見地から本間に対する給料は月額二〇万円と認定すべきである旨主張する。しかしながら、すでに認定説示したとおり、被告人が本間を本件家屋に住まわせたのは使用貸借契約によるものであって、同人との間で賃貸借契約を締結したことが認められないから、本間としては被告人に対し賃料を支払うべきいわれがない上、被告人は、当該家屋を有徳に賃貸しているのであって、特段の事情が認められない本件において、被告人は本間に対し、賃料請求権を有しないというべきである。してみると、被告人が本間に対し、賃料請求権を有することを前提とする所論は、その前提を欠くものといわざるを得ない。仮に、被告人が本間に対し、毎月二〇万円の給料を支払い、その中から一二万円ないし一三万円の賃料相当額を差し引いて支給したとしても、その控除額相当分が被告人の不動産収入となることは明らかであって、これを被告人の収入に計上した上、本間に月額二〇万円の給料を支払ったこととして、その所得金額を計算すれば、本件各年における被告人の所得金額に何らの影響もないことは極めて明白であるから、この点でも所論は理由がないというべきである。そもそも被告人が学生アルバイトとして採用した本間に対し、その勤務の内容からして、月額二〇万円の給料を支払ったとすべきこと自体不自然である。所論は、いずれの点からしても採用することが出来ない。なお、所論は、税務当局において、本間から賃料を受け取っていない被告人が有徳に対し、月額五万円の賃料で賃貸している旨認定しておきながら、営利法人である有徳が本間から賃料を得ている旨認定しなかった点を論難するが、この点に関する所論は刑訴法上適法な控訴理由とはいえず、しかも、本間と有徳の間で右家屋に関して賃貸借契約が締結されていない上、本件は有徳の所得を問題にする事案ではなく、被告人の所得を問題にするものであるから、この点に関する所論は失当たるを免れない。

(退職金の金額)

所論は、本間に対する退職金についても、現実に支給された金額を認定すべきであると主張するが、前示のとおり、原判決の認定に誤りはない。

(八)  雑費について

所論は、病院管理費として三〇万円を計上すべきであるとの結論を主張するのみで、「その根拠は原審での弁論要旨記載のとおりである」としているが、控訴趣意書にはかかる援用は許されないから(最高裁判所昭和三五年四月一九日第三小法廷決定・刑集一四巻六号六八五頁)、本論旨は適法な控訴趣意とは認められない。

ちなみに、所論に鑑み、職権をもって調査するに、押収にかかる総勘定元帳一綴(昭和五七年分)、大蔵事務官平田純敏作成の雑費調査書、斎藤国雄作成の答申書、原審(第一二回公判)における証人斎藤国雄の証言によると、有徳は、斎藤国雄に対し、コーポ有徳の設計監理を依頼し、その設計監理料として、昭和五七年五月二〇日、同人に対し、六〇万円を現金で支払ったこと、斎藤は、国税当局から有徳との取引について照会を求められるや、売上帳その他の帳簿を調査して、同五八年七月二七日付の答申書を作成し、これを国税当局に提出したこと、その答申書には、同五七年五月二〇日、コーポ有徳設計監理料として六〇万円を現金で受領した旨の記載がなされていること、斎藤は、右六〇万円を受領した際、その領収書の宛名を有徳として作成し、これを有徳に交付したばかりでなく、被告人に対し、設計監理料を全く請求していないこと、それにもかかわらず、被告人は、同年五月一九日に右六〇万円全部を斎藤へ支払い、これが医院管理費に当たるものとして、昭和五七年分の雑費に計上したこと、そこで、国税当局は、右雑費に計上されている六〇万円を有徳の支払いと認め、その全額を否認したことが認められ、これに反する原審証人斎藤国雄の証言(第一二回公判)及び被告人の供述(第二六回公判)は、いずれも斎藤国雄作成の前記答申書やその他の関係証拠に対比し、にわかに措信することが出来ない。これらの事実に徴すると、雑費についても、原判決には所論のような誤りはないというべきである。以上の次第であって、事実誤認に関する論旨は、すべて理由がない。

控訴趣意第二(量刑不当の主張)について

所論は、要するに、原判決の量刑が重きに失し不当であるから破棄を免れないというのである。

そこで、原審記録を調査して検討するに、本件は、野沢整形外科の名称で医療行為を営んでいる被告人が、その所得税を免れようと企て、医療収入の一部を除外したり、医療材料費等の経費を架空計上するなどの方法により所得を秘匿した上、昭和五六、七年の二年にわたる実際所得金額の合計が二億五五〇七万四六六六円もあったのに、総所得金額の合計が六七〇六万二六二四円しかなく、これに対する所得税額の合計が一五七一万五七〇〇円である旨を記載した内容虚偽の各所得税確定申告書を作成した上、これを所轄税務署長に提出して、それぞれその納期限を徒過させ、もって、不正の行為により合計一億三〇七〇万四三〇〇円の所得税を免れたという事案であって、その逋脱額が多いことはもとより、二年分を通じた逋脱率も八九・二六パーセントと高率であること、被告人は、妻和子に命じて診療収入の一部を除外したばかりでなく、自らも取引先に依頼して架空の請求書や領収書を作成して貰い、更に、アルバイト学生に対する賃金のみならず、その他の経費についても支払いを仮装するなどした上、経理事務所の担当者に対し、それをそのまま計上するように依頼して、多数の損益科目にわたり、収入を除外し、虚偽架空の経費を計上して所得の秘匿を図ったものであって、その犯行態様が極めて計画的かつ巧妙悪質であることはもとより、動機に至っては、家族の将来のことを慮って、その生活資金を確保すると共に、多額の債務を抱えていたので、その返済資金を得ようとしたものであって、いずれも私利私欲に基づくものであるから、この点でも格別有利に考慮することは出来ないこと、本件は税法上優遇措置を受けている医師の二年分にわたる犯行であって、一般納税者の納税意欲を著しく阻害させた上、医師の信用をも失墜させるなど、その社会的影響も大きいなどに鑑みると、被告人の刑責は誠に重いといわなければならない。

してみると、被告人は、本件について深く反省し、査察調査の結果に基づいて二年分の所得税につき修正申告をし、本件逋脱にかかる本税全額を納付したほか、有徳との関係を明確に分離すべく、それぞれ専従の従業員を採用して会計処理に遺漏が生じないよう改善に努めたこと、これまで医師として地域社会に貢献して来たこと、前科前歴がないこと、本件がマスコミに取り上げられて報道されるなど、ある程度の社会的制裁を受けている上、医師法に基づく行政処分の可能性も否定出来ない状況にあること、その他被告人に有利な諸般の情状を十分斟酌しても、被告人を懲役二年(四年間の執行猶予付)及び罰金三五〇〇万円に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については同法一八一条一項本文を適用して被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 新田誠志 裁判官井上廣道は転補のため署名押印することが出来ない。裁判長裁判官 半谷恭一)

昭和六三年(う)第六八一号

○ 控訴趣意書

控訴人 野沢進

右の者に対する貴庁頭記事件につき左記のとおり控訴趣意書を差し出す。

昭和六三年九月一二日

主任弁護人 村山六郎

弁護人 丸山正

弁護人 斎藤稔

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一 原判決は次のとおり事実を誤認し、又証拠能力のない証拠を採用している違法があり、その誤認及び違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるので破棄されなければならない。

一、収入関係

(一) 医療関係

1.昭和五六年分の入院患者診療収入について

原判決は、入院収入調査書に西山和栄及び田中一枝の入院についてのカルテ番号及び入院期間等の記載があるから、右両名の診療記録は現に存在すると認定している。

しかし、カルテ等は検察庁に押収されて被告人の手元になく、被告人は右両名のカルテを特定して検察庁に閲覧謄写の申請をなしたにも拘わらず、その閲覧謄写ができなかつたものであり、弁護人においても公判廷でカルテがない旨主張している。

従って、この様な場合検察官はその所在を調査してあれば弁護人にその旨連絡するなどすべきであるが、その様なことは全くなかった。

又、国税調査官の入院収入調査書にカルテ番号等の記載があってもそれは誤記による場合も考えられるのである。

従って、被告人においてカルテを確認できない以上原判決の認定には納得出来ないのである。

2.昭和五七年分の入院患者診療収入のうち大場隆策分について

原判決は、大場隆策の入院期間が〈1〉昭和五七年三月四日から同年四月五日までと、〈2〉同年四月八日から同年四月二四日までの二回であるとし、責任保険金から支払われたのは右〈1〉の入院及び右〈2〉の期間以降の通院に関する分だけと認定している。これによると、〈1〉の入院による交通事故の治療は〈2〉の入院期間中は行わなかったことになる。しかし、〈2〉の期間以後治療が行われていたことからみると、〈2〉の入院期間中はその治療が行われていなかったとみることはできない。そのうえ自由診療収入調査書によると、被告人は大場に係る昭和五七年三月三日から同年六月七日までの診療報酬として昭和五七年三月二九日に金五九万八七六〇円保険会社に請求しているが、三月三〇日以降の治療費を三月二九日に請求できるはずはなく、この調査書の記載は不自然である。

原判決は、〈2〉の入院に係る診療報酬額については請求の日及び金額に照らして保険会社に請求しなかったとしているが、昭和五七年三月二九日に金五九万八七六〇円同年九月一六日に金一五万三五〇〇円請求したことから、直ちにその様な認定になるのが理解し難く納得できない。

3.雑収入

関東医師製薬株式会社に対するレントゲンフィルム等の売上収入は被告人に帰属せず、有徳有限会社に帰属するものであり原判決は事実誤認している。その詳細は後述医療材料費関係で主張しているのでこれを援用する。

二、支払関係

(一) 医療材料費(医薬品・医療材料)

1.(1) 原判決は、有徳有限会社がなした医薬品に関し、昭和五六年度において本間薬品株式会社外八社、同五七年度において同社外七社からの医薬品取り引きを、又医療材料に関し昭和五六年度において関東医師製薬株式会社外三社、同五七年において同社外三社からの医療材料取り引きをそれぞれ否認し、これら取り引きはいずれも右業者らと被告人との直接取り引きと認定している。そしてこの認定の主たる根拠は有徳有限会社と被告人との間に医薬品・医療材料に関する取り引きを認定することができないからであるとしている。

(2) しかしながら右原判決の認定及びその論理展開は明らかに間違っている。前述各業者らとの取り引き主体は誰であるのかの問題に、各業者からすれば内部問題と解される被告人と有徳有限会社との関係を正面切って持ち出し、そこから取り引き主体は有徳有限会社でなく被告人であるなどとされては、業者の混乱は大きく取り引きの安全性を害すること甚だしい。本件は医薬品等の代金請求にかかる民商法上の事件でなく、所得税法の問題であるからといって原判決の様に論理が逆の、民商法上の取り引き原則を無視した「為」にしたとしか解されない認定は許されるものではない。

(3) さすがに原判決も自らなした認定及びその論理展開にいささか自信がないのであろうが、わざわざ「一部の業者に対して仕入代金の債務を負担する者が有徳であるか否かはさておき」とか「仮に、有徳名義で業者から仕入れられた医療材料に関する民事上の代金支払い義務者につきこれを有徳とする見解が成立するとしても」と述べているのである。右業者らの取り引き相手・取り引き主体は誰であるかは、まさに仕入れ代金債務の負担者は誰であるか、と同じ問題であり、これを原判決の様に「誰であるかはさておく」ことは許される事ではない。又「民事上の代金支払いは義務者につき、これを有徳とする見解が成立する」ではなく、民商法上の原則はまさに有徳有限会社であり、被告人ではありえないのである。

2.(1) 有徳有限会社が医薬品・医療材料につき適法に取り引きしうる権利能力を有し、かつ行為能力を有していることには争いはない。

(2) そして、右業者らのうち取り引き量の多い業者関係者である証人・吉田充(吉田薬局)、吉田豊(本間薬品)、金尾勇三(日医工新潟)、相馬慶嗣、小林俊彦(関東医師製薬)はいずれも請求書・領収書等の徴票に基づくとおり、当社の医薬品・医療材料の販売先は昭和五四年頃以降有徳有限会社である旨証言しているのである。そしてこれら証人は取り引き相手を誤認・混同する様な低レベルの業者関係者でないこと明白である。これら証人らに原判決の認定を開示すれば皆理解しえず、裁判とは「何とまぁー」と驚くだけで言葉が続かないことであろう。

(3) 被告人及び有徳有限会社は昭和五四年末頃、個別に右業者関係者を呼び「以降の医薬品取り引きは有徳とする」旨説示し、対外的に取り引き主体の変更を明示しているのである。

(4) 右諸事情から医薬品・医療材料の仕入主体はまさに有徳有限会社である。尚、付言するに、有徳有限会社と被告人との関係は業者からみれば内部事情に過ぎない。その内部事情は業者にとって知り得ない事情である。その知り得ない事情を持ち出し、業者との取り引き相手は被告人であるなど主張しえないはずである。このことは民商法分野では明白のことである以上刑事事件の事実認定においても同様でなければならない。是非控訴審におかれては適切な認定をされんことを望む次第である。

3.(1) 前記のとおり有徳有限会社はこれらを業者から仕入れる以上これを被告人へ転売していること理の当然である。このことは同社がいわゆるMS法人として設立間もないこと、小規模の同族会社で被告人への転売を専らなす目的の会社であること(尚、原判決は有徳が被告人以外の他者へ売却をしていないことをとらえ、同社の医薬品取り引き主体を否認する一要素としているようであるが、これはMS法人の特性を理解しない暴論である。他者への転売などすれば事務繁雑となりMS法人の意味が薄れてき、設立の意味がなくなりかねない。)、世上これら同族会社と関係者との内部的取り引きには帳簿等不備の場合が多いこと等々の諸事情を考慮しつつ、本件有徳有限会社と被告人との医薬品等取り引きにおける基本契約書の存在代金決裁の状況関等係各証拠を先入観なく精査すれば、優にこれら両者間の右取り引きを社会・経済的実体ある取り引きとして認定しうるはずである。

(2) そして、有徳有限会社と被告人との取り引きにおけるいわゆる利益率は被告人の供述するとおり医薬品については薬価の八割、医療材料については仕入れ値の一二割である。その理由・根拠については弁論要旨で詳述しているのでこれを全て援用する。

4.(1) 原判決は弁護人が原審で強く指摘している「不動産取り引きにおける有徳有限会社と被告人との取り引き実体」との対比において医薬品等取り引きも考慮すべきである旨の主張を殆ど考慮していない。おそらく、この対比を厳密に検討するなら、原判決の様な結論はできないはずである。

(2) 控訴審におかれては、大蔵事務官・平田純敏の昭和六〇年七月七日月証言、同・松本健の昭和六一年一〇月三〇日月証言を精査され、適切な判断を下されるような強く望む次第である。

(3) 即ち、右各証言を検討するに、専門家である大蔵事務官ですら不動産取り引きと医薬品取り引きとを区別した合理的説明をなしえていないのである。本件は刑事事件であり、国家が被告人に刑罰を課するのである。被告人・弁護人としては右取り引きを区別した合理的説明なくして、医薬品等取り引きのみを否認されることに断じて承服しえないのである。不動産取り引きにつき有徳有限会社の取り引き主体性(対被告人との関係においても)を認めた以上、医薬品等の取り引きにおいても、対被告人との関係でも有徳有限会社の主体性を認めなければならず、それのみが論理を一貫させる道であると思料する。

(二) 棚卸資産

1. 棚卸資産の数値に関しては、原審にてすでに検察官主張に係る数値に何ら合理性のないことが解明されている。それにもかかわらず、原審は右数値を採用し、更にそれに合理的説明を加えようと空しい努力をしている。無理な数値はどう説明しようと無理なのである。弁護人主張の様に棚卸資産数値の把握は無理として、当該年度仕入総額イコール当該年度経費額とする以外方法はない。これが実体に即した唯一の方法である。

(三) 医療材料費についての事実誤認

1. 株式会社日医工新潟

(1) 原判決は被告人の株式日医工新潟(以下日医工新潟という)に対する昭和五六年の期中支払い額は二七九万一〇〇〇円と認定しているが、右期中支払い額は同年三月四日の二六〇万円、四月三〇日の一〇〇万円、六月二五日の二〇九万一〇〇〇円の合計五六九万一〇〇〇円で右認定には事実誤認がある。

(2) 領収書の存在

イ 有徳口座の通帳の写から明らかのように、有徳口座から昭和五六年三月三日二六〇万円、六月二五日二〇九万一〇〇〇円が払い出され、日医工新潟に対する右同日の支払いに充てられたものである。

ロ 原判決は、右支払い出しの前に二〇〇万円、四〇〇万円が被告人口座から有徳口座に資金移動により入金されていることに合理性、必要性がないとしたが、右二〇〇万円、四〇〇万円の入金は三月三日以降、六月二五日以降の当座の諸費用の支払いの必要のためなされたもので、その必要性と合理性を備えているものである。右支払い出しが架空領収書の信用性を高めるためにことさら行われた疑いがあるとの認定は証拠に基づかない独断的見解である。

(3) 日医工新潟の元帳の信用性の疑問

日医工新潟作成の請求書の入金欄には弁護人主張の入金額が記載され、元帳の入金額と齟齬し、この点については藤城は値引き分が足されたものが請求額となっていると証言しているが、昭和五五年の元帳には売上額と値引き額が記入され、取り引き過程が明確になっているが、昭和五六年の右期中支払い額については値引き額の記入が元帳にはなく、どのような値引き処理をしたか取り引き過程が不明確てである。日医工新潟は日本医薬工業株式会社(以下日医工という)の販売を目的とし、同社の全額出資の会社で、日医工が毎月の売上等の経理を監理し、請求書・元帳を作成しているにもかかわらず、元帳の金額と異なる請求書が藤城の指示で作成されていることは、上司は勿論藤城以外知らず、しかも藤城が実質的に担当した昭和五六年七月一五日締切までにのみ生じているものである。逆に藤城の移動に際し、元帳と請求書の齟齬が処理されているものである。

又、昭和五六年の値引き額計二九〇万円(三月の一三〇万円、四月の六〇万円、六月の一二〇万円)は昭和五六年七月までの買上高が一カ月日最高一四万七〇〇〇円、買上高計四四万九九四〇円と比し、藤城証言の値引きによる元帳の数字は余り異常で、元帳の記載内容は信用するに値しない。藤城が担当した昭和五四年一二月から昭和五五年一二月までの日医工の一方的な元帳の売上、値引きの記載が如何にあれ、被告人または有徳に対する請求、その支払いとを合わせて検討しなければ元帳記載内容の信用性を一方的に認めるには飛躍があり不十分である。

2. 武田医科機器店

(1) 被告人の武田医科機器こと武田忠雄(以下武田という)に対する期中支払い額は、昭和五六年度において、一月一三五万七三九〇円、二月一二八万三八〇〇円及び二〇八万二〇〇〇円、三月一五〇万円、七月五〇万円、一一月一四〇万円、一二月一九万二八〇〇円の合計八二〇万五九九〇円であり、昭和五七年において一月において一月三二四万円、二月三〇一万三七〇〇円三月一一万六〇〇〇円、五月四〇三万八〇〇〇、一二月九八万円の合計一一〇三万七七〇〇円であり、原判決の右期中支払い額の認定には誤認がある。

(2)イ 領収書・伝票一綴(弁七・八号証)売上帳(検甲一一一号証)から被告人の右各期中支払い額は明らかであり、昭和五六年一月二九日有徳有口座から一三五万七三九〇円が支払いのため払い出されているものである。

ロ 原判決は右領収書等について累々疑問点を指摘している。しかしながら昭和五七年一月、三月、四月の明細書欠落については売上伝票の各月の請求金額に見合う明細が記入されているし、ホスピタルカセッター、丸石ギブスパンジーについては現実に武田から仕入れられて現存すること、そして自動車運動器、コスモス滑車が現存することこそ右領収書等の記載が架空でないことを如実に示すものであるEOガスの仕入れ本数が一本か二本かその頻度についてもまたサンダルの仕入れについてもその当時の必要性、需要に応じ仕入れているもので、何の問題もない。昭和五七年二月二八日、五月三一日の支払いが当月仕入分に相当する金額のみが支払われていることも、毎月の請求高全額が支払われていない実状からして、その支払い方法に何の不自然さもない。昭和五六年一一月の締切が二五日ではなくて三〇日になされたとしてもそれは一回だけで、格別の不自然さはない。

たとえ右領収書伝票綴りに一部不自然な点があったとしてもその余の全てを架空取り引きとして断ずることはできない。右領収書等には、架空のものは作成されていないものである。

(3) 武田の売上と隠ぺい、過少申告

武田忠雄は弟・勇助のサラ金等の負債整理のため、被告人から売掛金代金として受領した現金から昭和五六年、五七年にわたり計一二〇〇万円を融通していたがこのことは妻等の家庭、融資取り引きの事情から、妻、取り引き金融期間には内緒であったため、被告人への売上を大幅に減小隠ぺいした売上伝票(昭和五六年分は新潟地方検察庁昭和六〇年押第一四号符号八(検甲一一四)、昭和五七年分は同押第一四号符号九(検甲一一五)を作成し、これに基づき過少な確定申告をしていた。

武田は昭和五七年秋自らの税務調査を、昭和五八年五月被告人の脱税について事情聴取を受けたが、その際自らの脱税、被告人に対する売上の隠ぺいは、妻、税務署に対する虞れから告げることはできず秘していた。

武田は被告人の昭和五八年の査察当時も検察官の取り調べ同時も自らの保身のため虚偽申告を維持せざるをえず、真実を述べることのできなかった特別の事情が存在する。武田は昭和五七年三月、一二月の一一万六〇〇〇円、九八万円の入金について入金処理をしていないが、このことは武田が右の過少申告をしてしいた一端を如実に裏付けるものである。

武田証言がサラ金負債整理の総額、昭和五六年、五七年の内訳について曖昧さがあったとしても、年月の経過、資料に基づいての証言でない以上それは当然のことであり、武田が過少申告していた事実、その申告の基礎資料であった売上伝票が取り引きの一部に過ぎないという不正確性を否定しうるものではない。右売上伝票は武田が過少申告のため便宜・調整したもので、税務申告のため敢えて明細書を省く理由がないのに、なんら明細書が添付されてなく、武田との全取り引き内容を正確に記載したものでなく、到底事実認定の資料としては不十分である。原判決は過少申告の右売上伝票(検甲一一四・一一五号証)を真実として、前記領収書伝票綴(弁七・甲一一四・一一五号証)を真実として、前記領収書伝票綴(弁七・八号証)を信用できないとして全てを排斥したことに大きな誤りがある。

(4) 武田証言の信用性

イ 武田は収税官・検察官に対しては、我身可愛さの余り、自分には火の粉が未だきていないと自らの脱税を隠し、虚偽を述べてきたが、公判廷に立ち生まれて初めて宣誓をし、真実を述べるしかないと自らの不利益を覚悟し、法廷で初めて真実を述べるに至ったもので(証人・武田速記録第一回三一丁、第二回二八丁)、証言を終えても証言台に座したままうなだれていた武田の証言態度は証言の真実性を如実に示すものである。

武田の証言は武田から法廷で突然自発的に述べられたもので、被告人側からは何らの働き掛けもなかったし、被告人を前にして被告人に自らの脱税を押しつけた後めたさはあるものの、真実を述べることのできない事情は全く存在しなかった。

ロ 被告人と武田の取り引き額は本件以後極少化し、取り引きでも被告人とは顔を合わせないようにしており、武田が自ら不利益を覚悟に真実を述べるに何らの支障となるものではない。

被告人との取り引き高、サラ金負債整理資金額について武田の証言の変化も、なんら武田が自らの帳簿を十分検討する機会を与えられたものではないこと、真実性を述べると覚悟しながらも、若干でも自らを擁護せんとする人間の弱さ、不徹底さを考慮すると証言の信用性を左右するに足りるものではなく、武田が被告人に有利な虚偽を供述したことはない。

3. ラクール薬品販売

原判決はラクール薬品販売に対する被告人の未払額一八五万二〇〇〇円が値引き処理され未払いが消滅したことを、平田の同会社の答申書に基づき認定したとの供述に基づき認めているが、右答申書は一切公判廷には提出されず、同会社の値引き処理を直接に裏付ける証拠は存在しない。平田供述のみによって右値引き処理を認めることは証拠上不十分であり、原判決の事実認定には誤りがある。

ラクール薬品販売の値引き処理されたことが明らかでなく、通常取り引きにおいては同社から請求のない以上、昭和五六年の総勘定元帳に一八五万二一〇〇円の支払いの記載に照らし被告人が支払処理したことが推認されるものである。

(四) 接待交際費、消耗品費、消耗備品費について

原告判決は、昭和五六年度の接待交際費、消耗品費、消耗備品費についていずれも安藤の検察官に対する供述調書をもとに取り引きがなかった旨認定している。

しかし、安藤の証言及び被告人の公判廷における供述に多少のくい違いがあっても、被告人が現金で購入した物品は現実にあったものであるから、両者一致する限度においては現金購入の事実を認めるのが相当である。尚、この根拠については原審で提出した弁論要旨のとおりであるからこれをみて頂きたい。

(五) 修繕費

1. 被告人の昭和五七年度における事業所得に関する経費である修繕費のうち、椎谷工務店関係分は左記のとおり合計六一六万五五〇〇円であるにも拘わらず、原判決は左記のうち、争いのない七月三一日の四二万円しか認定しえないとする。

病院特別室改築工事 五〇〇万〇〇〇〇円

その他 四月一九日 二八万六〇〇〇円

七月一五日 四五万九五〇〇円

七月三一日 四二万〇〇〇〇円

2. 原判決の認定で最も理解しえないのは、病院特別室改築工事等を否認している点である。これを否認するということは、原審における斎藤・椎谷の各証人はいずれも偽証であり斎藤作成にかかる写真記録もこれ又虚偽ということであろう。しかし、誰がこのような偽証を犯すであろうか。取り分け有資格者である斎藤においてである。病院特別室改築工事等は現実になされている。椎谷はそれを公判廷で指摘されやっと想起し、証言しているのである。証言内容を精査すれば懸命に記憶を呼び戻そうとしていること、誠実に証言しようとしている態度と解することは容易である。

3. しかるに原判決は右否認理由として、関係者供述の間に矛盾があるとして全体を惜信しえないとする。しかし、その惜信する矛盾もむしろ証言内容を曲解し、枝葉のことを大きく取り上げているに過ぎない。過去の出来事を枝葉末節まで各関係者の供述等が一致するはずがない。もし、そこまで一致するとしたらそれこそ惜信しえないはずである。骨子において一致すれば十分惜信しえるのであり、本件はまさにこれに該当する。

4. 他方、原判決は椎谷の検事調書を矛盾のない内容なので惜信しえるとする。しかし、この調書は原審で主張済のとおり証拠能力のない調書のはずである。これを採用したこと自体違法というべきであるが、その点一歩譲としても、右調書内容に矛盾などないのは当たり前である。どこに内容において矛盾のある調書を作成する検察官があろうか。問題は矛盾ではなく、内味が真実かである。この点病院改築工事等に全く触れていない右調書に真実性など更々期待しえない。控訴審における適正な判断を期待するのみである。

(六) 給料、賃料、退職金について

1. 原判決は、本間に対し賞与として昭和五六年夏期分金一七万円、冬期分金二六万円、計金四三万円支給したと認め乍ら、そのうち金二四万円を超える部分は恩恵的贈与と判断している。

しかし、被告人は本間に対し、賞与として支給し、本間も賞与として受領したものであること、賞与支給額が給与月額の平均三・〇八倍に限られるとする規則もなかったこと、本間の労働その他支給金額からみて右金額が賞与として不相当な額でないこと等からみて全額賞与として認めるべきであり、原判決の判断には承服し難い。

2. 被告人が本間に使用させていた一戸建住宅の賃料は月額一二~一三万円であり、本間はこの賃料を有徳有限会社に支払うべきところ、実際にはその支払いをしていなかった。しかし、理論的には被告人が本間に月額二〇万円支払い、本間が一二~一三万円有徳に支払うべきであったのである。弁護人がここで主張したいのは、税務当局が実際賃料を受領していないのに被告人が右一戸建住宅を有徳に月額金五万円で賃貸していると認定しながら、営利法人である有徳が本間から賃料を得ていると認定しなかったことである。もし、この三者間を税法的に処理すべきなら本間が有徳に支払うべき賃料を被告人が本間に対する給料から差し引いて支払ったと認定できるのである。従ってこの見地からして本間に対する給料は月額二〇万円とすべきである。

3. 本間に対する退職金についても現実に支給されたものであるから、経費として認定するのが相当である。

(七) 雑費について

1. 昭和五七年の設計監理料として計上されている金六〇万円のうち半額の金三〇万円は病院監理費として経費計上されるのが相当であり、その根拠は原審での弁論要旨記載のとおりである。

第二 原判決の量刑は重きに失し、不当であるから破棄を免れない。即ち前記第一記載のとおり原判決の事実誤認等が是正されるなら、所得税の逋脱額は当然低額となるのであるから、必然的に原判決の量刑は重すぎることになる。又、原判決は本件脱税に関して、関与税理士の指導の欠如、及び有徳有限会社が設立間もなく適切な経理処理が困難であった等の諸事情を考慮していない。これらは当然考慮されなければならず、さすれば原判決の量刑は重きに失することになる。

以上

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